たま子軍団の日常

たま子軍団の日常を記します。たまーに麻雀の話。

僕が人生でたった1日だけ麻雀プロを志した日がある話

「お前は麻雀プロになろうとは思わないのか?」

 

先日新輝戦というタイトル戦で惜しくもベスト8で敗退した俺たちのたま子団長をみんなで労おうと皆で集まっていた時の事である。

 

まさか数日後のクリスマス、団長へ天鳳で国士放銃をする運命が待ち受けているとは誰も予想していなかった。

 

ひょっとしてたま子団長は石橋プロの後継者に将来なるんじゃないかと思ったが、とりあえずその話は一旦置いておく。

 

「お前はよく、団長に一生付いていきますと言っているがそれならばお前も麻雀プロになるべきじゃないのか。俺と上の舞台で戦いたいという夢はないのか?」

 

僕は団長へ嘘はつけなかった。

 

「………実は僕、人生でたった1日だけ、将来麻雀プロを目指そうと思った日があるんです」

 

 

 

大学3年生になる前の春休み、つまり今から3年半程前、僕は雀荘メンバーを始めた。ここでの話はまたいつかすることになるのかもしれないが、団員のわっしょいくん、たま子団長、嵯峨くんと出会ったのはこの雀荘である。

 

ここでのバイトは本当に楽しかった。学校をサボってみんなで一緒にバイトして時間が空けばセットして。ここで沢山麻雀打った経験は間違いなく今の自分の土台となっていると思う。

 

そんな中、ある時とある雀荘の求人を見つけた。

 

「ゲーム代フルバック、時給1200円、まかないアリ」

 

もちろん当時働いているところを辞めるつもりはなかったが、掛け持ちはOKだったしその求人の場所は大学から近かった。

 

すぐに電話をかける。

 

「メンバーの経験がある人しか雇わないが大丈夫か?」

 

すぐに、「はい。」と返事をした。

 

レートはピンの5-15か10-20どっちだったか忘れた。

 

赤3と金7sが入っていて祝儀は確か1枚300pだったと思う。で、特殊ルールで、

「メンゼンで祝儀3枚以上のツモだと祝儀が倍になる」っていうのが確かあった。3枚からか4枚からか忘れたけど。

 

一応例を挙げるなら、例えば金7s入った手を曲げて一発ツモしたら3枚オールが6枚オールになる。

 

もしかしたらこのルールでどこの雀荘か分かる人はいるかもしれない。今その店があるのかは僕は知らない。

 

ところで、何故細かい記憶が曖昧なのかを先に説明しておこう。

 

僕はその雀荘メンバーを1日で辞めたからだ。まあ辞めたというかオーナーに「とりあえず今日は終電で帰りなさい」と言われてそれっきり一切連絡がなかったから1日でクビになった、の方が正しいかもしれない。

 

 

そしてこの出勤日が僕が人生で唯一、「将来麻雀プロを目指そう」と思った日である。

 

 

 

 

 

出勤日当日。

 

緊張しながら店へ入る。

 

結構古い建物だ。オーナーは麻雀プロ界では結構な有名人らしく、色々な有名プロとの写真が沢山あった。

 

「○○くんとかよくサンマしに来てたよ」とオーナーは言う。今は有名なMリーガーになってる人だった。

 

どうやら常連さんしかいない感じの雀荘みたいだ。学生の僕にとって、負けると結構キツいレートではあったけど、「沢山麻雀打ってきたし戦術本とかも読んだから」と怯まずに打とうと心に決めていた。

 

 

客が2人来た。1人は普通のサラリーマン。

 

そしてもう1人が、これから色々と話すことになるが某団体の麻雀プロだった。有名な人ではないが、オーナーが、

「彼は○○所属のプロだよ」と言う。

 

僕は麻雀プロと一緒に打ったことなんて今までなかったからそりゃ緊張した。

 

仮にそのプロをUさんとしよう。

 

オーナー、僕、リーマン、Uプロで卓は立った。

 

そして副店長のOさんが、「さて新人くんの麻雀を見てみようか」と僕の後ろ見をする。

 

 

戦いが始まった。

 

 

当時の自分の麻雀の実力は今よりも遥かに下手だったと思う。恐らく鳴きすぎだった気がする。ホーリー本と雀ゴロK本1のモノマネをしようと必死になっていた時期だ。

 

とはいえ、祝儀がそこそこ偉いことには違いないし、沢山鳴いて沢山リーチした。

 

 

 

 

どうやらそれが気に食わなかったのか。

 

後ろ見の副店長が、「どこでそんな麻雀覚えたんだ(笑)」と嘲笑うような言い方をしてきた。

 

なんとなく嫌な予感がした。

 

ここにいる人達、ひょっとしてーーーーー

 

 

そしてそれは的中した。

 

 

ある時、僕が副露した後に対面に座っていたUプロがリーチをしてきた。

 

一発で赤5sを引かれる。

 

 

メンタンピン一発ツモイーペーコー赤赤金裏

 

4000.8000の6枚は12枚

 

 

ずっしりとした何かが僕を襲ったが懸命に耐えて「はい」と一言添えて4000点と12枚を渡す。

 

 

 

すると次局の途中、Uプロが僕に話す。

 

「君が鳴いたら赤5pを引いて聴牌したから、これはアガれると思って曲げたんだよ」

 

 

顔が本気だった。冗談を言う時の顔ではない。

 

その人は決して歳を取っている人には見えなかった。20代後半から30代、といったところだろうか。別に麻雀に年齢など関係ないのは分かっているが、正直驚いた。

 

 

そのまま後ろ見している副店長が追い討ちをかけてくる。

 

「君は何も分かっていない。自分の状態とかを一切考えずに鳴くからこうなる」

 

 

全てを僕は理解した。

 

 

ここにいる人は全員、「流れ論者」なのだ。そしてこの人達は僕の事を敵だと思っている。僕の麻雀を完全に否定しようとしている。

 

仮に当時の僕が鳴きすぎだったとしても、この日副店長やUプロから指摘された内容に論理的な説明は一切無かった。

 

 

僕は必死に我慢しながら打ち続けた。

 

 

ある半荘のオーラス。

 

僕はラス目。跳満ツモ条件で着順が上がる。制約で「祝儀アリの満貫以上でない限り、オーラスに自分の着順が変わらないアガリはダメ」と言われていた。それはルールだから別に良かった。

 

 

僕は純チャンの手組みをした。メンゼンに限られてはいるが、

リーヅモ純チャンドラの手が一応見えていたから。

 

 

当然祝儀牌もツモ切る。下家に鳴かれた。

 

 

対面のUプロがすかさず言う。

 

「君さ、メンバーとして打ってる身なのにお客さんのこと考えて麻雀打てないのか?」

 

いや、僕は条件を満たす手を作りに、

 

とは言えなかった。

 

ただ、「すいません。」

 

としか。

 

 

 

結局その日はUプロが大勝で、僕は負けた。

 

 

その店では卓が割れた後にみんなでお酒を飲む、というのが風習らしく、僕もご馳走になった。

 

Uプロと一緒に酒を飲む。

 

 

「麻雀というものには絶対に流れがある。君はもう少しその辺を理解した方が良い。麻雀を覚えてまだ1.2年だと言っていたか。これから沢山打って沢山学ぶといいさ。」

 

オーナーからは「今日はもう終電で帰りなさい」と言われ、そのまま店を出る。

 

 

ちなみに求人に書かれていた待遇に嘘はなかった。夕飯もご馳走になったし、ゲーム代もフルバックだったし、時給も書かれた通り。

 

 

でもそんな好待遇ですらどうでもいいと思えるくらい、僕はこの場が本当に耐えられなかった。

 

今まで麻雀してきた中で本当に、本当に一番屈辱的な日だった。

 

 

あいつらが言っていることは本当に支離滅裂なことなのに、僕はただ黙ってそれを聞いて我慢するしかなかったのだ。そこに味方は誰1人としていなかった。

 

 

大人の対応をするならば、ここはそう言う考えの人達の集まりなんだろうからと、自分もニコニコと流れ論者のフリをして働き続ける手もあったのかもしれない。けれども僕にはそれは無理な話だった。

 

 

 

Uプロはなんと僕の大学の先輩にあたる人だった。建築学科卒業と聞いて本当に驚いた。理系卒にも関わらず麻雀は数字では考えてないのかと。

 

てっきり「理系の人間は全員デジタルで、文系の人間にオカルトの人が何割かいる」くらいに思っていたから、非常に驚いた。

 

 

そして当時の僕にとって驚きだったのは、Uプロが所属している団体は別に「流れ論者が多い(と僕が勝手に思っている)団体」ではなかったのだ。

 

 

麻雀プロに関わった事が皆無の僕からしたら、プロ業界は「連盟が流れ論者の集まりで、デジタル思考の人は最高位戦か協会」って認識だった。

 

 

だからあの日、「連盟以外にもガチガチの流れ論者の麻雀プロは普通に存在するんだな」というのを知った。知って何になるのかと言われたら自分にとっては何一つ役立つ話ではないのだけれど。

 

酒を飲みながらUプロから聞く話は本当にどれもが典型的なオカルトのそれだった。

 

 

僕はそれが初めての経験だった。麻雀を始めてから現代の戦術本を頼りに勉強し、一緒にメンバーをしていた友人達もみんな若かったからこんな話をする人は誰一人としていなかった。

 

 

Uプロから聞く話を「面白いなぁ」と笑って聞き流せる人間であれたらな、とも思う。

 

 

 

「こいつは何を言ってるんだ?頭おかしいんじゃないか?」と思ってしまった自分がいて、同時にここは僕の居場所ではないな、と察した。

 

 

そして、「絶対にあいつがいるプロ団体に入って、将来見返してやる」と、僕はその日、将来麻雀プロになろうと心に誓ったのだった。

 

 

僕が麻雀プロを志した唯一の日である。

 

 

 

ちなみに昨日、その人の名前で検索をかけたら名簿にはなかったので恐らくその人は既にプロ団体を脱退したと思われる。

 

 

僕は彼が本当に許せなかった。というか今でも許していない。彼は僕の事をどうせ覚えてないのかもしれないが、僕は当時本当に「将来絶対見返してやろう」と思っていた。

 

 

 

「………結局時間が経ちすぎて今は麻雀プロになろうとは全く思ってないんですけどね」

 

と、昔を振り返りながら僕はたま子団長に話す。

 

 

「……そうか でもお前はそのプロの言う事をよく鵜呑みにしなかったな」

 

たま子団長は言う。

 

「間違いをしっかりと認識していくことは本当に大切なことだ」

 

「いつか、お前が麻雀プロになる時が来たら、その時は俺はタイトル保持者として待っているよ」

 

 

やっぱり俺にはたま子団長しかいないんだ。

 

 

あの忘れられない屈辱的な1日と、たま子団長のおかげで僕はこれからも麻雀と向き合っていけるのかもしれない。